気持ちの問題だ

今日、小生のお客様(88歳のお婆さん)からお便りをいただきました。

そのお婆さんは私と同い年の息子さんを交通事故で亡くしご主人は後遺症で車椅子生活。

介護人がいないと生きていけない方々です。

「私の人生の半分は主人の介護と息子を失った悲しみの人生なのよ」

と小生の前でだけは愚痴られます。

「ごめんね、他の誰にも言えないから許してね」

と涙ながらにお話しされることもしばしば。

小生は無責任にも

「◯◯の婆さん。もう人のために生きるのはやめて自分のために時間をお使いなさったらどうですか?人間はいつか死にます。死んだら何もかもおしまいです。もう充分ご主人のために生きてこられたでしょう。悲しい人生だなんて言わないで。ご年配の方は若い世代に、老後もなかなか悪くないよ、と思わせるような生き方をしてくれないと若いもんが長生きしようと思わなくなりますぜ」

とかええ加減なこと言ってます。

お婆さんは小生のそんな常識外れな話を聞くのが好きみたいで用もないのにしょっちゅう電話をかけてこられます。

本気で小生は思うのだけど

歳を取ったら思い切りわがまま言って、使える金は全部使って、髪の毛も染めてどこからみても不良ジジイ化して暮らそうと思ってるんです真剣に。

いい歳して、とか大人なんだから、とかは言わせない。

「今まで散々我慢して生きてきたのだ。これからはいっぱい人に迷惑をかけて生きるのだ」

「無駄遣いするために仕事してきたのだ。食うためだけならこんな面倒くさい仕事を選んだりするか!」

そんな小生にお婆さんがカードを送ってきてくれました。


なかなかに深い。

「シアワセはなるものではなく気づくこと・・・」

そうかも。きっとそうなんだ。

お婆さんありがとう。言い聞かせて生きていきます。

友達とは自分で選べる家族のこと」

〇〇さん。小生はあなたのこと失礼ながら「友達」だと思っていますよごめんなさい。


人生道半ば

Bluesとは「生きて出会うこと!」 友達とは「自ら選ぶことのできる家族のこと」 そう信じて今日も!

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