コロナ騒動の中でのライブ2

急遽三人での開催が決まったのですが大谷師匠もプロ意識の高い先輩でありまして

場当たり的な演奏はザビ師匠の前座として恥ずかしいし、何よりお客様に対して失礼にあたる。限られた時間で練習しよう、とご自宅の大谷スタジオまで仕事終わってから合わせに伺いました。

練習に入る前に昨今のコロナ騒動について議論をしました。

やはり大谷師匠。

すべての考え方の中心が常に相手に対してベクトルが向いている、ってことです。

それはいつも自分のことを捨てている、という意味ではありません。

各地でイベントが中止になってもそんな状況下でも自分ができることはないかと常に考えられて、用もないのに顔を出しに行ったり、仲間を聞きに行ったり。

こういうとこだと思うんですよね。


これだけギターも上手な人もそうそうはいませんが何よりこのお人柄ですよ。

大谷師匠よりギター上手いだけの人ならもっといるかもしれません。

だけどいくらギターが上手くっても

「それがどうした?」

みたいに感じちゃう人がいるんだよなー。

ギターが上手いとかどうかの前にやはり人柄を重視してお付き合いを考えてる自分がいるんです。

昨今みたいな特殊な状況下でも自分を律し、世論に流されずブレない心を持って生きる。

「ライブなんかして自分がキャリアになったり、誰かのをもらって家族や他人に移したらどうするんだ!」

とか言う人がいる。

どうもしねえ。

その時はその時で万全のケアをする。それだけだ。

というかそれしかできんでしょう?

娘がコロナに感染したら自分だけ別の部屋で寝るのか?

なワケねえ。

必死で看病する。当たり前だそんな事。

もし、自分がキャリアになったり他人から移るのがイヤな人はで歩かないのがいい。

もし感染してもそれは誰のせいでもない、自分に運がなかったのだと受け止めればいいだけじゃないの。

移されたら他人のせいにするかもしれん、と思うならお願いやから出てこないで。

外にはコロナ以外にも危険がいっぱいあるよ。

左にウインカー出しながら右折してくるオバハンもたくさんいる。

いちいちそんな連中のことばかり考えて生きていられない。

事故したらその時はその時でいいではないか。

もちろん危険は察知しなきゃいけないけど。

自宅に赤ちゃんや免疫不全の家族がいるなら出歩くな。

明日が間違いなくきて今日よりシアワセなんてことは絶対にない。

それなら、今この瞬間を精一杯生き抜く方がいいと思って昔から生きてきたんです。

そしてこれからもそうやって生きていくつもり。

まだ続く(笑)



人生道半ば

Bluesとは「生きて出会うこと!」 友達とは「自ら選ぶことのできる家族のこと」 そう信じて今日も!

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